日本映画のことを話してるとだんだん腹がたってくるね・・・・・・

対談

黒澤明            
KUROSAWA AKIRA

萩原健一
HAGIWARA KENICHI


こわい監督?


萩原 
ボク、一回黒澤さん見たことがあるんです、三船さんのパーティで、入って行ったら、いたんです。でも、こわくて何も言えなかったんだ。すごくこわい人だ、って聞いてたから。ロケの時、撮影にジャマな電信柱を切っちゃった、とかね。


黒澤 
電信柱は、やたら切るわけにはいかないよね(笑)でも行って「これはずしてくれ」って言えば、やってくれたんだよ、それだけの費用を払えば。別にすぐノコギリで切るわけじゃない(笑)代りに別の線を引っ張ってもらって、あとで元に戻せばいいんだから。

萩原
そういう伝説的な、すごい話ばっかり聞いているから、最初にパッと会ったとき、おっかなくなっちゃって、口きけなかった。

黒澤
そんなことないよ、あたりまえの人間だよ。(笑)ネス湖の怪獣じゃあるまいし。僕のスタッフなんか、誰もこわがってなんていないよ。俳優さんだって、こわがっていないもの。話を面白くするために、そういうぐあいに、いろいろジャーナリズムが書くんだよ。そうじゃないと、商売にならないもんだから。例えば「黒澤監督のメガフォンによって・・・・・・」なんて書く。そりゃね、グリフィスの時代には監督がメガフォンを使っていたけど、今、撮影にはメガフォンなんか使わないよ。(笑)ああいうものを使う必要があるときは、電気的な拡声器を使う。ところが、電気を通した声だったら、絶対演出なんてできないね。肉声じゃなかったら、だめなんだ。誰も言うこときかないよ。声が変っちゃうんだね。

萩原
それは、わかります。僕、テレビやってて、ステージの上の金魚鉢みたいなガラス張りのサブ・ルームから、ボタン押されて拡声器で演出されるの、すごくいやなんです。で、黒澤さん、最新作の「デルス・ウザーラ」って、ずいぶん日数がかかったんでしょ?

黒澤
一年だけどね、撮影はそんなに、大したことないよね。一年だったら、「七人の侍」だって一年だし。

萩原
僕はそういうの、ないですからね。飽きないですか、変な話?

黒澤
いや、飽きちゃ困るね。(笑)だけど、撮影期間は一年だけれど、これをやろう、ということになってからだと、四年になる。その四年間、同じ気持ちをずうっと持ち続けているのが、たいへんだよね。

萩原
今まで撮った映画は、そういう長い時間かかったのが多いですか?

黒澤
短いのも、あるけどね。「どですかでん」は、二十八日間だもの。みんなにいろいろ言われているけど、僕は意外に早いんだよね、仕事は。ただ、天候や何かに災いされたら、延びるところは延びちゃう。ロケーションなんか、しょうがないもの、こればっかりは。

萩原
僕はまだ若いから、そういうことはないですけど、よく俳優さんが、昔出た映画がテレビで今オン・エアされたりすると、非常にいやだ、と言うんですが。監督は「七人の侍」がもう一回リバイバルされたりすると、どういう感じしますか?

黒澤
いやじゃないね。俳優だってさ、テレビのオン・エア見るのがいやだというんだったら、ずいぶん無責任な話だよね。ちゃんとした仕事をしていれば、むしろもう一度見たいはずだよ。それは、いいかげんなことをしていたんだろう、その俳優さんが。

萩原
なるほどね、そうでしょうね。どうも黒澤さんて、やたらこわいと聞いてたから、オレ、何てしゃべったらいいか・・・・・・。田中邦衛さんて、役者さんがいますね。あの人なんか、役者同志で話すとき、しょっちゅう「黒澤さんておっかない」「うんとこわい」って、よく言うんです。

黒澤
嘘つけ、僕のほうがこわかったよ、田中邦衛は。(笑)何やりだすかわかんないんだもの、あの男。今度会ったら、そう言ってよ、何言ってんだ、って。本当だよ、あいつ、こわがるタマかって。(笑)


日本映画を撮って


萩原
あの、たいへん失礼な言い方ですけど、日本の映画、撮ってもらいたいんですけど、僕は、黒澤さんに。

黒澤
僕だって、撮りたいよ。

萩原
黒澤さんという人は、準備からはじめて、一本の映画に何年もかかる。で、正直言いますと、ヤバイと思うんです。そう何本も撮れる人じゃないと思うし。だから早く、撮ってもらいたい。

黒澤
いい年だし?(笑)安心してよ、まだまだくたばらないから、だいじょうぶだよ(笑)しかし、映画というのは、金がかかるからね。それに第一、今俳優さんが日本の場合、困っちゃうよね、テレビやら何やら縛られてて、スケジュールをぬうだけで、たいへんだよ。俳優さんのほうでも考え直して、ちゃんとした映画を撮りたいというんだったら、それは金に困るかもしれないけど、ある期間スパッと身体をあけて、専心してくれないとね。映画俳優がかけ持ちしているというのは、世界でも稀有なことだよね。それじゃあとっても、いい仕事はできないよ、軽業だものね。初めての俳優さんに会って「やあ初めまして」「では、本番っ!」みたいなわけには、いかないよね。やっぱり、相当つき合わなきゃ、その人のいいところも、わからないしね。

萩原
それは、そうですね。

黒澤
それから、この間もテレビ見ながら笑っちゃったんだけど。すごく深刻なシャシンが、喜劇みたいになっちゃうのね、俳優さんが顔にばかり力を入れるから、顔っていうのは、自由にしといてさ、心に感じるものを出さなきゃ。自由にしておくからこそ、顔に心が自然に出るんでね。そういう自然な顔している人は、近頃ほんとに珍しいね。昔はすごく顔に力入れているスターが、いたよな、いろいろ。御大なんて言われている連中で。でも、今の若い人が、ああ気ばって、こりかたまった顔してちゃ、全くいただけないね。監督だって、手つけられないよ。見てると、自分で一番いいと思っているような顔が、三種類くらいあるんだね。何かというと、それをかわりばんこに、出す。(笑)

萩原
なんか、オレ、自分のこと言われてるみたいだな。(笑)

黒澤
いい子だ、なかなか聞き分けがいい(笑)、ほんとに。でも、これが自分の一番いい顔、っていうのを持ってる役者は、だめだね。いつでも、そいつを持ってくるから。

萩原
ああ、そうですね。

黒澤
ある女優だけどね、見ていると、顔は泣いてて、足はブラブラして遊んでるんだよ。どなりつけてさ「お前、今、悲しくて泣いてんのに、足は何してるんだ」って。なぜおこられるのか、わかんないような顔をしていたけど、その人はやっぱり、だめだったね、結局。やっぱり泣くときは、全身全霊で泣かなきゃ。顔のクローズ・アップだけ悲しい、というわけにいかないよね。泣くときだって、すぐ目薬なんて持ってくる会社があるんだな。どなりつけるんだよ。泣けるはずなんだよ、ちゃんとホンが書けていればね、そういうぐあいに。もっとも中には、ひどいホンもあるけどね。「・・・・・・とワッと泣く」なんてだけ書いてある。これは役者がかわいそうで、泣きようがないんだよ。(笑)ワッと笑い出すようなホンを書いといて、「ワッと泣く」ったって、困るよな。三船の泣くときなんか、すごいよ、止まらなくなっちゃうね。「七人の侍」のとき、びっくりしたんだけど、菊千代が暴れて泣くところがあるでしょう。「菊千代は百姓だから、青っ洟たらしていいですか?」って言うんだよ。「それ、何かで作らせるの」「いや、出します」って、「えっ!」だよね。(笑)「まあ、とにかくやってみてくれ」って、やったんだよ。そしたら、ほんとに出てくるのね、青っ洟が。結局きたなく見えるから、そうじゃないのと二つ撮っといて、洟のでないほう使ったけど。別に前に仕込んでたわけじゃないんだ。(笑)やってるうちに、出しちゃうんだからさ。そう器用な俳優とはいえないよね、彼は。でもね、ちゃんとやるもん。そういうときは僕は、キャメラマンだとか、照明部の連中なんかを、見てるんだ。すると、三船といっしょになって、泣いてる。感情移入してね。キャメラマン見ていると、(身振りで)こう涙ふきながらキャメラのぞいてる。(笑)これはだいじょうぶだ、と思うね。監督で乗り出して役者ばかり見ている人がいるけど、そうやったって、ものが完全に見えるってものじゃ、ないよね。


ウワァーいたあ!


萩原
ふうん、すげえなあ。あの黒澤さんて、仕事やってないときは、何しているんですか?

黒澤
今年いっぱいは、遊ぼうと思って、ゴルフばっかりやっているね。雨が降らない限り。

萩原
ゴルフ、好きなんですか?

黒澤
好きだね。だって、健康にいいしさ、徹底的にやるね、やりだしたら。今日も一時ごろまで練習してきた。でも、僕ってのはやっぱり、ある癖があってさ。たとえば仕事というと、ゴルフのゴの字も出ない。仕事以外何にもしないものね。食べ物がまた、そうね。同じものばかり食べる。だからノンちゃん(野上照代さん=『デルス・ウザーラ』の日本側協力監督)が、俺のあだ名、「半年卵」だって。(笑)卵焼きっていったら、半年、卵焼きばかり食べてるもんね。

萩原
僕ら今、映画撮っていて、よく東宝撮影所に行くでしょう。そして、ある監督さんと歩いていて、すごい大きなスタジオがあるでしょう。「あのスタジオ、ぶち抜いてセットできないかな?」と言ったことがあるんですよ。そしたら、「昔はやったんだよ。黒澤さんがやったんだ」って。

黒澤
また、嘘だよ。(笑)昔だってステージはぶっこ抜けなかったよ。鉄筋コンクリートの、五十センチ以上もある壁、どうしてぶち抜けるんだ、建物が倒れちゃうぜ。

萩原
あるでしょ、大きいステージが。

黒澤
第八と第九ステージかい。あれは、こんな厚い壁だぜ、こわせないよ。そんなことしたこと、ないよ。(笑)俺はあたりまえのことしか、してないよ。第八、第九は、ぶっこ抜いたってだめなんだよ。タッパ(高さ)が低いでしょう。キャメラ引いたら、ライトが入っちゃうよ。なんであんなばかなもの建てたんだろうと、おこっているくらいでね。

萩原
話がオーバーに伝わっているんですね。こっちはまともに聞いちゃう方だから、三船プロのパーティに行ったときも「ウワァー、いたあ!」という感じでそのまま帰ってきちゃった。(笑)話しちゃいけないんじゃないか、みたいな、なんか疎外された気持に、なりましたよ。

黒澤
こっちが、疎外されてんだよ。(笑)どうしてこういう癖があるのかね、日本のジャーナリズムというのは、(同席の白井編集長を見て)その責任者の一人が、ここにいるけどさ。(笑)特別な人間なんて、いやしないって。特別な人間だったら、どっかの動物園か何かに入っているよ。(笑)でも、例えば東宝の撮影所に行っても、前はああいうものじゃ、なかったね。全然違っている。撮影所ってのは、ほんとうに「夢の工場」だったね、昔は。今のは何だい、あれ、じじむさくなっちゃってさ。もっとおよそ活気が横溢していたものね。

萩原
僕なんか、今しか知らないから、話聞くだけで、びっくりしちゃう。

黒澤
しかし、こういうこともあるんだね。撮影所というものは、物を作っているところだからね。それぞれみんなで作っているんだから、スタッフだって自分の受持ちのところに没入している。だから、オール・ラッシュを見せても、画面の自分の責任があるところしか、見てないんだね。だからオール・ラッシュで作品の反応を見ようと思ったって全然反応が返ってこない。全体を見てないからね。全体を見ているのは、監督の俺くらいのもので、ほかは全部自分の分担のところを見ているから、悲しいときに泣きもしなきゃ、おかしくても笑わないんだ。そうすると、ぐあいが悪いことになってくるんだよ。「これはやりそこなったかな」なんて思うよね、いやだね。だから映画というのは、本当はアメリカ式に、ロードショーをやる前に、編集し終ってダビングしたばかりの作品を、いきなりどこかの館で秘かにかけるといいんだよ。一般劇場の上映時間が終ったところで、「今日は特別にこれをお見せしますが、よろしかったらそのままごらんになってください」っていって。そして、そのときプロデューサー、監督、エディターなどが全部来て、お客さんの反応をジッと見て、それから本式に、直すところは直していくといいんだよ。監督というのは、それまで責任持たなきゃならないんだよね、実際は。

萩原
「デルス・ウザーラ」は、それをやったんですか?

黒澤
やってないよ、ソビエトには、そういう習慣がないからね。


弱点ほどほめられる


萩原
日本は、たしかに早くやりすぎますね。

黒澤
めちゃくちゃなんだよね。ちゃんと見てもらうためには、相当試写もやらなきゃいけないし、時間が必要だよね。とにかく、要するに粗製乱造なんだ。商品にたとえても、ある物を売るためには、中身がもちろんちゃんとしていて、それを入れてある箱から、包装紙から、それを結んであるヒモまで、ちゃんとしたものでなければ。それが、商売というものなんだ。「今の映画会社は何してんだ」って、昔、まだちゃんとしていたときに、俺はそう言っておこったんだから、今に至っては、めちゃくちゃだよ。鼻紙で包んで商品を出すみたいなもんだよ、あれでは。

萩原
僕は今度のリバイバルで「七人の侍」は七回見ました。その前見たのが、二、三年くらい前の黒澤週間の上映でしたが、短いやつだった。

黒澤
国際版ね。あれは、切らされて、つらくてね、切れないんだよ。無理やり切ったんだ。フランスのシネマテークのアンリ・ラングロワさんが、全然切ってないやつをあとで見て「すばらしい。誤解していた。たいへんすまぬ」と、手紙をくれたよ。「今後も、少しも切らない作品を見せてほしい」って。できあがったときに、もう少しも切れなくなっているわけだよね。それをまた切らされるんだから。

萩原
何で切らされたんですか?

黒澤
映画祭に出すのに、上映時間の制限というのが、あるわけね。そうべらぼうに長くても、困ると。それから、商売上のこともあって、切ってくれ、ということを言うわけ。それは自分で作ったことのないような重役どもが、言うだからね。楽なこと言うんだよ。ほんとに、びっくりするようなことを言うぜ。

萩原
またひどい映画館になると、帰りの電車の時間に合わせて、一巻抜いちゃったりするんだって聞きました。

黒澤
そうだよ。客の回転を早くするためにもね。とんでもないよね。

萩原
僕は北海道で神代監督と、彼のロマン・ポルノを見たんです。つまらないわけ、正直言って。神代さんもあまりいい顔していないで、黙っているんです。「どうだった?」というから「正直いってつまらなかった」といったら、「一巻抜いてあるんだよ、あれ」って。(笑)わからないんだもの。でもたいへんだろうな、黒澤さんの作品って。

黒澤
「七人の侍」のときオープンで、五郎兵衛役の稲葉義男と、よくキャッチ・ボールをやったよ。稲葉ってのは、あれでとても心臓弱いんだよ。朝、僕の顔見て「お早うございます」って言ったとき、もう青くなっちゃうの。テストの始まる前に。(笑)それじゃ、だめだからさ、あの役の格好のままミット渡して「おい、キャッチ・ボールしよう、俺の球受けろ」って、しばらくやるわけ。そうすると、血の気が出てくる。(笑)すぐアガっちゃうんだよ。ダメ出せば、ますます青くなっちゃってさ。

萩原
映画では、実に自然にやってましたけどね。

黒澤
そう見えるでしょう。スタッフが「あいつには困って苦労した」というやつほど、批評ではいいんだよ。目がないんだな、批評家というのは。(笑)そういうものだね。そういうのを盛んにかばって、編集もするし、まわりでも全部カバーする。完成すると、きっとそういうのが、とてもほめられるんだよ。そういう例が、たくさんある。一番弱点だと思ったやつが、一番ほめられているね。

萩原
監督の映画のストーリーというのは、いつも簡単な話が、多いですね。

黒澤
そうだね。要約して二行か三行でバチッと書けるようなものじゃなかったら、いい映画にはならないね。また書けるわけだよ、はっきりした背骨があれば。

萩原
「七人の侍」も、そうですね。

黒澤
そうだよ。あれだって三行には書けるからね。ゴテゴテ、ゴテゴテ何ページも使って書かなきゃならないような内容だったら、とても映画には無理だね。

萩原
僕は監督の映画を見ていて、いつも主役がいないような気が、するのね。そういう映画って、よくあるでしょう。全部がいいから、出ている人が。そう思うな、オレ。

黒澤
そうだよね。どんな人間だってある角度から見れば、そいつは主人公なんでね、すべての人間が。たまたまある作品では、そいつが一番目立ったところへくるだけの話だから。ほかのところだって、そいつのアングルから見れば、そいつが主人公になれるわけだから。ホンもそういうぐあいに、書いていかなきゃね。ほんのちょっとしか出ていないやつだって、そういうふうに書いていかなきゃ、全体がおもしろくならないよね。それをもっと広げていくと、小道具の一つまでが、主役になり得るんだから。そこいらからきちっとやっていかないと、ちゃんとしたものは、できないね。


本物の矢を射る


萩原
「蜘蛛巣城」の、三船さんが矢で射られるシーン。あれは、ほんとうに弓をピユッ、ピユッと射たんですか?

黒澤
見えないナイロンの糸を、身体に止めておいて、節を抜いた矢にそれを通してあるわけ。そのナイロンの糸を通って矢が飛ぶ。糸がたるんでいたら、あぶないんだよね。ピンとしていないと、矢がどこに飛んでいっちゃうか、わからない。三船が向こうで動き回っているわけだから、たえず釣りのリールでいっぱいに、糸をピーンと張っておく。アメリカ式のリールだと、向こうの俳優が動くとピューッと糸が出るから、たえずギリギリと巻いていりゃいいんだよ。

萩原
じゃ、身体に当る以外の矢は、本物ですか?

黒澤
本物。

萩原
やばいなあ。

黒澤
だいじょうぶだよ。人物の前や後ろに、相当距離をおいて射る。それを望遠レンズで撮っているから、ぐっと距離感が圧縮される。ここと、ここと、と決めて目印をつけて、それをちゃんとした弓の師範の人が、ねらって射るんだから。三船の首に矢のささるシーンは、そうやって撮ったうちの、首の近くを矢が通るショットに、作り物の首を貫通した矢を三船がつけたショットを、つないだわけさ。三船ちゃんも、さすがにこわかったらしいけどね。そういうことがまた、黒澤は人間を本当の矢でブスブス射ってる、なんて伝説になるんだね。「野良犬」で犬を使ったシーンを撮ったときのことなんて、今でも腹が立つな。アメリカの動物愛護協会の婆さんだよ「狂犬を撮るために、犬に狂犬病の血清を注射した。動物愛護の面から許せない」なんて抗議してきた。ふざけちゃいけない、あれはね、野犬狩りでつかまった犬を借りてきて、狂犬病みたいに犬にメイクアップして撮ったんだよ。夏の真っ最中で、自転車で新東宝のグラウンドをグルグル回らせて、ハアハアさせて、肉をつるして、こっちを向かせてね。それをアメリカの動物愛護協会の婆さんが、しつこくせめて、最後には「証言しろ」ってサインさせられたよ。「日本人は大体残虐だから」って。戦争直後だから、しようがなかったけどね。

萩原
へえ、犬にメイクアップしたんですか?

黒澤
うん。少し目をつり上がらせたわけ。(笑)「これ、もっと狂犬みたいな感じにならないか」って。

萩原
「デルス・ウザーラ」のトラは、どうしたんですか?

黒澤
向こうにトラがいて、こっちに二人が立っているでしょう。その間に、一〇メートルちょっとくらいの濠が、掘ってある。キャメラを低めにしてるから、それがつながって見えるんだよ。トラは飛び越えては、こられないわけ。調教師が銃持って待機してはいたけれど。

萩原
なんで最近は、カラーで撮るようになったんですか?

黒澤
なんでって・・・・・・カラーじゃなけりゃ今は通用しないよね。白黒で撮りたいものがあったら、もちろん白黒で撮るけど。「デルス・ウザーラ」だって、そうはうまく撮れなかったけど、ウスリー地方は黄金の秋って、秋がすごくきれいなんだよね。そういうのをカラーでちゃんと撮りたかったから。でもカラーは、白黒の表現の豊かさまではまだいってないね。「ラストタンゴ・イン・パリ」なんかは調子はいいけどね。あれは向うで本物を見るとすごいんだ。

萩原
よかったですね。僕も向こうで見たんです。

黒澤
カラーも、あそこまでいけるんだからね。宮川一夫君(編集部註・「羅生門」のキャメラマン)なんかで、ああでもない、こうでもないとやかましいことを言ってやったら、いいシャシンができるだろうね。「羅生門」なんかネガがきちんと残っているんだったら、一つ一つ宮川君にチェックして焼いてもらったら、白黒の撮影じゃ、世界最高の部類だね。考えてみると、白黒映画というのは、表現として一つの完成までいっていたわけでね。サイレント映画はサイレント映画で、登り詰めるところまで登り詰めちゃっていたわけだね。それから、今度はカラーも相当のとろこまでいっているけれど、まだまだ新しい可能性はあるんじゃないの。もう少しフィルムの感度も、良くなるだろうし、コクもよくなるだろうし、工夫すべき問題がたくさんある、と思うんだよ。フランスのシネマテークでエイゼンシュタインの「イワン雷帝」第二部のカラーの部分を見せられて「三十年前にあれだけのカラーを撮っているんだから、黒澤さんもカラーを撮らない手はない」といわれたけどね。そうそう、今度アメリカで、七〇ミリの三倍くらい画面の大きい映画ができたらしいね。フィルムを横に廻す式で。その専門映画館を今、作ってるらしい。画面の中に自分が入っちゃったような感じが、するらしいね。とにかく実にでかいんだって、画面が。

萩原
日本にその映画が来たとしても、専門の館がないと、だめなんですね。

黒澤
もちろん、作らなきゃだめよ。ただ、そういう画面になってくると、クローズ・アップなんかの撮り方が、むずかしくなってくると思うね。


シナリオは生きものだ


萩原
監督の場合は、四台くらいキャメラを廻しちゃうんでしょう、一度に?

黒澤
まあ三台だね、いいとこ。八台くらいで廻したこともあるけれど。

萩原
じゃ、ワン・カットの間、そのキャメラは動かないんですか?

黒澤
動くんだよ。だから「どですかでん」の時の伴淳なんか、演技しているうちに、セットの柱が最初の位置から無くなってしまっていて、びっくりしたらしい。(笑)演技が進むにつれて、あるところになると壁がスーッと動いて、キャメラがそこから入っていったりするわけ。

萩原
じゃ、セットが移動するわけですか。ということは、シンクロ(画面と音の同時撮影)できないわけですか?

黒澤
いや、セットが動いても、音なんかしないんだよ。しないように、してあるんだよ。

萩原
はあ!! ちょっと気になりますね。一週間くらいリハーサルしないとダメでしょう?

黒澤
壁を車にのせて、開く用意して、大道具さんが待機しているわけよ。必要な時に音もなくスーッと開く。壁を開くこともできるし、上につり上げたきゃ、上げてもいいし。

萩原
へえ、昔からそういう撮り方なんですか?

黒澤
うん、ある時期からね。演技の途中で「カット」といって、盛り上がった感情を中断させると、うまくいかないでしょう。だから全部ずうっとやって、そのままワン・カットで撮る。そのかわり稽古をみっちりやる。演技だけじゃなく、キャメラの移動だとか、俳優の立つ位置だとか、全部のね。セットの床は目印のテープだらけだよね。ちょっと太った人間が手前に来ると、それが重心を右に置くか左に置くかだけで、画面の向こうが見えなくなっちゃったりするからね。それから照明もたいへんだよ。

萩原
総て、ピッタシじゃないと、だめですね。またそれは、たいへんですね。

黒澤
でもね、当然キャメラは止るべきところで止まり、動くべきところで動くはずなんだよ。ドラマの感情の動きが、そうなっているはずなんだから。それをちゃんとこっちで考えてやっているんだから、それがちゃんとできれば、キャメラはそこへピタリと来るはずなんだよね。人は無理に動くわけじゃない。部屋の中で歩いたり立ち上ったり、というのは、ある心の動きがあって、それが出てくるわけでしょう。監督の頭の中で正しく計算ができていれば、俳優もそれが、当然できるわけだよね、不自然でなく。だから、俳優さんが動いていて止ったときには、キャメラの移動もそこで、パチッと動きを止めなきゃ、いけない。俳優さんが止ったのにキャメラがちょっとでも動いていたら「カット!」ですよ。だって、キャメラを意識するもの。何かが動いているからこそキャメラはパンできるわけで。俳優が止ったときは、キャメラも移動を止めなきゃ。

萩原
監督は三台のキャメラを使ってて、どの位置にいるんですか?

黒澤
大体A,B,CとあるそのAキャメラところに、いる。NG出したりすると、すごい顔をして、にらむらしいけどさ。(笑)

萩原
一つのホンをリハーサル期間でまず全部けいこして、それからワン・シーンをワン・カットで撮っていくわけですか?

黒澤
今は忙しいから、昔みたいに徹底的には、やれなくなっちゃったけどね。でも一本の作品で一人の人物になりきるには、そいつに集中してもらわなきゃならないから、忙しい俳優は使わない。専心してもらわないとね、一本の作品に。

萩原
監督はホンの作り方は、どうするんですか、いつも?

黒澤
僕の場合は、他の人とちょっと違うんだよ。原稿用紙にまず「F・I」と書くわけ。溶明―暗いところから何か写ってくる、ということね。そしてファースト・シーンを書いて。全体の構成は最初から大体あるよ。でも箱書きみたいなものは、作らない。だってさ、ドラマなんてものは、ちょっとしたことばじりで、どう展開していくか、わからないものね。そこまで最初から計算するのは、不自然だと思うんだよ。おもしろくないよ、第一、見ているほうもね。だから自然に発展していくままに、しておくわけ。なるたけ白紙みたいな状態で、かかるほうがいいね。

萩原
たとえば、そうやって全部書き終って読んだら、全然おもしろくない。そういうことは、ないですか?

黒澤
おもしろくなかったら、破っちゃうんだね。それだけだよ。いいホンというのは、自然に川が流れていくように、いくはずなんだよ。そして、突如として、とんでもないシーンが浮んでくるんだね、書いていて。そこがおもしろいし、やっぱり興奮するよ。とんでもなく発展したり、意外な役が、急におもしろく育ってきたり。生きものなんだよ。


会社との戦いかた


黒澤
それから今の若い俳優さんを見て、とても言いたいんだけど。スポーツは、大体マスターしておいたほうがいいね。自分の健康のためにも、いいしさ。馬にも乗れないちうような役者、外国にはいないよ。女優だって何だって、みんなちゃんとやっているよね。馬ってのは、へたなやつが乗ったら、一目でわかるんだよ。馬がばかにしちゃっているのがね。うまい人が乗ったら、馬はピピッとしているよ。御大将か何かの役で馬の上にふんぞりかえっていたって、馬の方は首たれて草を食ってる。これじゃ、サマにならない。(笑)自転車にものれない、なんて俳優はどうしようもない。

萩原
「七人の侍」のときの馬のシーンなんて、すごいですもんね。

黒澤
「七人の侍」のときは、困ったね。僕が「ヨーイッ!」っていうでしょう。そういうところは、つい声に力が入る。そうすると馬が、ダダダダッと、足踏みするんだよ、こわがって。(笑)「先生、あまり大きな声でヨーイと言わないでください」っていわれた。三船ちゃんなんかも、馬はそううまいわけじゃ、ないんだよね。ただ、その役になりきって乗っちゃうだろう。馬の方は、こわいよね。トラに乗られたようなもんだからね。(笑)馬には、こわもてでないとね。一ぺん馬になめられたら、もうだめ。

萩原
「七人の侍」のラストの乱戦シーンなんて、すごいなあ。

黒澤
あれ撮ったのは、二月だからね。三船の菊千代が死んだところは、最後の日に撮った。あのときは霙になってきた。

萩原
あれ、ほんとうの雨ですか?

黒澤
人工的に降らせているんだけれど、ほんとうの氷雨がまざって降ってきて、それが霙になってきた。あれは大体一〇日間かかって、朝から晩までびしょ濡れよ、僕も。俳優さんは、ときどき火にあたったり、ふろに入ったりできるけど、こっちはそうはいかない。でも、緊張しているんだね、カゼもひかなかった。

萩原
寒かったろうなあ、フンドシ姿で、雨がふってて。

黒澤
「七人の侍」は、当時としては、たいへんな金額で作っている。一年間撮影をやって、クライマックスの合戦シーンは、わざと最後に残しておいた。その前に会社から、中止命令がくると思ったから。少しでも合戦シーンが撮ってあったら「もうそれでいい」と、会社が言うのはわかっているから。そうしたら言ってきたよ、案の定。「今まで撮った分を編集して見せてくれ」って。「見たってむだですよ、クライマックスがないんだから」「でもとにかく、一応編集して見せてください」「でも、その間に雪が降っても知りませんよ」。で、編集して、見せたよ。画面がだんだん進んで、三船の菊千代が走って行って屋根の上に旗を立てて、「来やがった、来やがった、来やがったあ!」で野武士の群が馬で山の上に現われて、そこでパッとフィルムが終っちゃう。(笑)そしたら重役が「これで終わりですか?」「後はワン・カットも撮ってありません」。会議室でみんな会議してね。じゃあ、と待っていたら「ちょっと来てください。あとは、思う存分撮ってください」だって。(笑)そしたら雪が降ってきたんだよ、そういってるその晩に、どんどん、どんどん、「ざまあ、みやがれ」だよ。この雪を溶かすのに、二週間くらいかかっちゃった。消防のホースでどんどん水まいてね、泥んこだよ。

萩原
いいこと、聞いたな。クライマックスを撮らない、というのは、いいですね。

黒澤
監督というのは、そこまで考えていかないとね。映画会社と戦うには。ところが、映画会社の考え方というのは、こうなのね。「ご苦労さん。しかし『七人の侍』のクライマックスは、一〇日間で撮れた。それにくらべると、そこまでの部分に一年もかかったのは、長すぎる」っていう。「ちょっと待ってください」といったんだよ。「そこまでにたいへんな苦労をして、金も使ったし、会社に対しても、すまないと思っている。だからこそ最後に、死にものぐるいでやったんだ。だから、一〇日間でできた。そこから逆算して計算されちゃ、かなわない」って。「もしこれが予算どおりにあがっていたら、もっと儲かった」みたいなことも言うけれど「予算どおりにあげていたら、あんなにおもしろくはならないよ」っていうんだ。予算をオーバーしてまでちゃんとやったから、お客もあんなに来たわけだろう。資本家は、そういうぐあいには考えないんだよ。そういう作品、いっぱいあるぜ。だからリバイバルしても、お客さんがたくさん見てくれるんだ。リバイバルしていい作品だって、他にまだいっぱいあるんだよ。今、僕が、やってみたいと思うのは、ヤマさん(山本嘉次郎監督)の業績ね。それから、エノケンのユニークな作品。ヤマさんは僕の先生だし、ニュー・プリントで、今、みんなに見てもらいたいと思うよ。おもしろかったんだから。何ならプリントに、多少僕が今の眼で見て手を入れてもいい。それを、ぜひやらせてくれ、といってるんだよ。そうすれば、また儲かるぜ、会社だって。


腹が立ってきた!


萩原
日本映画名作祭なんて、やってるけど、ちゃんと収益は黒澤さんのところまでくるんですか?

黒澤
「羅生門』と「酔いどれ天使」で六万円いただきましたよ。どういう計算か、わからないけどさ。ドアが閉まらないほど、人が入っているそうだけど。こういうのをアメリカの映画人なんかに話したら、吹き出すだろうね。このドケチは、映画がまだ儲かっていた時代でも同じことでね。会社はあの頃、もっと撮影所の機械設備から何から、どんどん改良していかなきゃ、だめだったんだ。そうすれば今、もっとコンパクトなロケーションもできるし、人員も少なくてすんでいるはずだよ。

萩原
そうですね。

黒澤
だんだん腹が立ってきたな。今の監督たちだって、ねんねこで赤ん坊背負って、お守りしているような連中ばっかりだろう、精神としては。そんな感覚の監督じゃ、困るよ。企画も何も自分で立てないし、ホン書くわけでもないし、黙っていてさ。会社が何か持ってくれば「ハイ」というだけじゃねえ。それじゃ会社も、よその生きのいい監督を使うわけだよ。情けないね。だから活気がなくなるわけだよね。いろいろな点で今の日本映画界は、行き詰っている。政治がちっとも映画に関心を持ってくれないのも困るし、いろいろ困ることがあるけれど。やっぱり根本的には、自分で何もしようとしない映画を作るやつ、撮影所というお城に何もしないでいるやつ。そういうやつが、一番だめなんだよね。そういうところから映画を助けてくれ、といったって、通らないよ。とにかく、活気がない。話をしたって、映画の話なんかしないもの。悪口ばっかり言うようだけどさ。映画人というのは、若い世代のいいところは学ぶ気になって、感覚的に最先端を突っ走っていなきゃいけないわけだよ。特に映画監督というのはね。音に対しても、絵に対しても、いろいろなものに対して、いつも勉強をしてなきゃね。自分がほんとうに映画を撮りたかったら、自分で企画を立てて、鉛筆と紙があれば、ホンは書けるんだからね、努力だよ。「今、映画に進む道がない」と若い人たちが言うだろう。「それは違う」って言うんだよ、俺は。ホン書いてみろ、いいホンだったら、どこだって飛びつくよ。いいホンがないんだもの。ほんとにおもしろいストーリーで、おもしろいホンができたら、飛びつくよ。とたんに金も入りますよ、相当な金がね。それをなぜ、やらないんだ。「私は監督になりたい」っていったって、監督になるには、ホンが書けなきゃだめなんだよ。何をやるにしても、ホンをマスターしなかったら、だめだよ。プロデューサーやるんだって。俳優さんは、また別だよ。だが作る側に進むんなら、ホンはマスターする必要がある。それは実益もかね、収入にもなるんだから。ブツブツ言ってたって、しょうがないじゃないか。書くんだよ。いろいろなシナリオを読めば、どう書くかくらいは、わかるよね。シナリオの形になっていなくたって、そんなことはいいよ。専門家に渡せばいいんだからね。みんな、だめだ、だめだ、といって、何もしていないのが、現状だよね。これが、いちばんいけないよ。

萩原
最近はすぐ「それは当らない」と、言われますね。

黒澤
だからって、同じようなものばっかり作っていたって、しようがないよ。「青い山脈」をいったい何回作ってるの。そして、今の若い連中は若い連中で、自分たちなりに生きているんだろう?それを四十越したやつが十代の話を撮ったって、おかしいって。四十代のやつには四十代のシャシンがあるはずなんだよ。それは勉強して、若いやつの気持もわかっていなきゃだめだし、それだけの感覚も身につけていなきゃ、だめだけどさ。映画監督なんて、常に何かやって自分を新しくしていかなけりゃ、すぐポシャッちゃうぜ。ほんとうにくたばらなくても、実質的にくたばっちゃうよ。そういう人間ってのは、もう半分棺桶に入っちゃってるんだよ。ますます腹が立ってきたな。(笑)俺ばっかりしゃべらせないで、何か言えよ。そう、文句のついでに、テレビで映画の前に、解説に出てくる連中がいるだろう、いろいろ。淀長さんの場合は愛嬌があって、ただただ映画が好きだって感じでさ、まだいいよ。でもね、あの仕事、たいへん悲しいことに、どんなにつまらないシャシンでも、ほめなきゃいけない。(笑)「こんなつまらないシャシンはない」というのを、何とかしてほめているのを聞いてるうちに、腹が立ってくるね。あれ、何とかならないものかね。「サイナラ、サイナラ」と、こっちの方がいいたくなるよ。(笑)何だか、俺一人でしゃべってる。お前も少ししゃべれよ。

萩原
すごいなあ、黒澤さんて。マイったなオレ、ほんとに。


(『キネマ旬報』 ’76・新年特別号初出)



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