1975年3月上旬号




萩原健一自己と映画についての総てを語る・・・<キネマ旬報男優賞の人>



監督について、女優について、映画への夢についてをみんな話そう!


インタビュアー 福岡 翼



重いけどサ!




「正直に言って、オレ、何だかペースのない人間だろ。みんなからもそう思われてるんじゃないの?歌い手から役者の方に来てサ、だからといって役者が本職でもないし、歌手でもないし、テレビ・タレントでもないし・・・・・・結局、どれも本職ではないし・・・・・・。それがある場合は逃げ口上にもなってたんだよね。ところが今度、キネマ旬報男優賞ってのをもらってサ、自分でもようわからんけど、これでもう逃げ場はない、というか、甘えられないというか、そんな気がするんだ。オレの本職は役者なんだという、腰のすえ方をしなくちゃいけない。そういう意味ではこんどの賞は、うれしいし有難い。ほんとうに日が経つにつれて、だんだんうれしくなってくるって感じだね。重いけどサ」萩原健一は目を細め、そのうれしさを言葉では足りないとでもいうふうに、肩をすくめ、顔をくしゃくしゃにほころばせて、身体中で、喜びの度合いを表現してくれた。テレビ・ドラマ「傷だらけの天使」のロケ現場。午前中の仕事が順調にはかどって、気分も悪くないようだ。昼食に洋食定食≠ニいうヤツを注文し、コーヒーのおかわりを頼みながらのインタビューである。彼の食事のほうは、さっぱり進まない。身体をのり出すようにして話しつづけているからだ。「ああ、ここにもメシよりも映画のことが好きな奴がいる」と思うと、ぼくも和食定食≠ノ箸をつける気がしなくなった。メモをとる指先きが、ひどくもどかしい。ショーケンの声がますます熱っぽくなってくるからだ。「だいたい今の役者さんたちは不幸ですよ。映画の全盛のころに育った役者さんと、今のスターというものを、比べてごらんなさいよ。ぜったい今の役者が負けるにきまってる。そりゃ、テレビなんかでチョコチョコ出番には恵まれているかも知れない。だから今の役者というのは、非常にテクニシャンですよ。だがピョンピョンするばっかりで、パンチ力がないんだなあ。三国連太郎さんなんか、芝居しているのかどうなのか、上手いのかどうなのか、おれにもわからないけど、でもパッとあらわれただけで、重さというか、威圧感というか、存在感がありますからね。その違いはどこにあるのかと、真剣に考えちゃいますよ。他の者も考えるべきなんだよな。そりゃ、昔みたいに映画も作れば当たるという時代じゃなくなった。役者ひとりのために映画を作ってくれる、というわけにはいかない。だからといって引っ込み思案になっちゃおしまいだ。だからオレは実現できようが、実現できなかろうが、そこまで考えないで、ともかく思いついたことは、どんどん発言するようにしているんだ。プロデューサーやディレクターにだって言ってるよ。自惚れじゃないけど、オレの発想は決して悪くないと思ってるもの。でも、今感じていることは、オレたちが考えたりしていること以上に、世の中の動きのほうが早い、ということだね。ひとつ所にとどまってなんかいないよ。だからオレは、いわゆるシリーズものってやつは、やりたくないな。何の進歩もないじゃないの。同じことの繰り返しでさ。人間としてはずかしいよ。」




もまれに旅発つ





これで間違いありませんか?というぼくの念押しに、彼は大きくうなづいて、こうつけ加えた。「だけど『涙のあとに微笑みを』については、まるで何も覚えちゃいないんだ。監督の名前だって覚えてないよ。何て名前の人だって?オレも子どもだったからね。『めまい』のときも、おつきあいみたいなもんだったし・・・・・・。でも、あれで斎藤さんにめぐり合ったんだから、忘れちゃいないけど、映画としての印象はないよ。斎藤監督というのは、オレはものすごく感謝はしている。斎藤さんによって、オレはこの世に出てきたようなものだからね。斎藤さんの以前の映画というのは、オレ、ぜんぶ観てるんだ。『落葉とくちづけ』とか『小さなスナック』だとか・・・・・・。感覚的に非常に優れた人だと思った。それと音楽を理解してくれる人だと思ったね。だから『めまい』の話があったときは、うれしかったし、そのときふたりで話し合う機会にも恵まれて、『約束』につながっていったんだ。そういう意味では、オレは斎藤さんにめぐりあえたということは、非常にありがたいと思ってるよ。だけど『約束』以降、オレは斎藤さんの映画は、一本も観ていないんだ。『旅の重さ』も『津軽じょんがら節』も・・・・・・。なぜって・・・・・・。要するにもう、わかっちゃったんだ。斎藤さんの世界というものを、オレはもう見抜いたというか、知り過ぎちゃった、という気がするんだ。ずっと一緒に過してみて、斎藤さんが次に考えていることがどういうことなのか、オレにはもうわかっちゃうんだよ。だからオレは斎藤さんの映画、もう観なくともわかるし、オレも斎藤さんの映画、やりたくないんだ。あの人、俳優に自由に演技させると言われているらしいけど、そうでもないよ。わりとネチっこく、細かく注文をつけてくるよ。かと思うと、現場で急にシーンを変えてみたり、台本とは違う即興的なことをやらせてみたりもする。でも、やりやすい人だね。演じる側から言えば、ちゃんと言葉で、あれこれ注文つけてくれたほうが、やりやすいわけですよ。ただまかせっきりにされちゃうと、これでいいのかどうかの判断が、つかないしね。不安になってくるわけ。でも斎藤さんの場合は、だいたい想像がつくから・・・・・・。だから一度やれば、それでもうじゅうぶんだという気がする。だからオレは斎藤さんに誓ってるんだ。『斎藤さん、オレはしばらく一人で歩いてみる。斎藤さんが進んでいるように、オレも負けずに進んでみる。お互い訣別しあって、それぞれに自分の道を、もう一度確かめあってみよう。そこにまた新しい何かが生まれるんじゃないだろうか。それが5年先きか10年先きになるかわからないけれど、その何かがつかめたと思ったとき、もう一度、改めてめぐりあいたい。オレはその時こそもう一度斎藤さんに撮ってもらいたい。その日のために、オレはいろいろな監督さんに、もまれに旅発つんだ』って。だから斎藤さんを超えるためには、オレは一からやり直してるつもりだし、だから負けたくないね。・・・・・・それにしても『花心中』も『無宿』も、何というのかな、オレはスクリーンを見なくても、中身が見えちゃうなあ」



市川崑監督の「股旅」は、萩原健一、小倉一郎、尾藤イサオの共演ということになっていたが、役のウェイトからいえば、あれは小倉一郎の映画だった。「そうですよ。あれは小倉くんのものですよ。でも、オレが市川さんに興味を持ったのは、あの人のいうさすらい≠ニオレたちのいうさすらい≠ノ、どこか共通点があるのだろうか、という点だったんだ。市川さんの第一印象というのは、年寄りにしてはセンスのある人だと思ったこと。それで撮影に入る前に、『君のやる黙太郎という人間を、どう思う?』と聞かれたので、オレは自分なりの答えを言ったわけだ。『三人の中でいちばんのヒネクレ者。世の中を要領よくわたっていく男で、現代に共通する若者として、ぼくはやりたい』って・・・・・・。そしたら、『その通りでやって下さい』って言われちゃった。そういう意味では、やりよかった人だけど、終わったあとの満足感というものは、オレにはなかったね。どっか、何かやり残したという感じがして、しかたがなかった。つまり、市川さんが描こうとした。さすらい≠ニ、オレたちが感じているさすらい≠ノは、もう、かなりのズレがあるってことなんじゃないかな。映画としてみた場合には、市川崑流のさすらいは、ちゃんと出ていたと思うよ。良くできてた映画だと思う。だがオレ個人としては、トシヨリにしてはセンスのある市川さんにして、もう、われわれの世代からはズレていっているということを認識して、さみしかったな」



それでは若い世代≠ノ属するとみられている「化石の森」の篠田正浩監督についてはどうか。そのことをぼくが口にしかけたとたん、質問を先取りするように、ショーケンはキッとした口調で、言葉を発した。実に強いひびきを持つ口調だった。「篠田監督には、オレまじめに、真剣に聞き返したいよ。『あなたはほんとうに化石の森≠ニいう映画を撮りたかったんですか?』って・・・・・・。あれ、原作があるだろ。石原慎太郎という人の原作、オレはきらいなんだ。それを、篠田さんが映画にするっていうんで、オレは篠田さんを信じたわけよ。『心中天網島』とかサ、あの篠田美学を即『化石の森』に置き換えて考えてみた。あの母親と子の、人には言えないような近親相姦的な、人間の切なさみたいなものが、『心中天網島』ふうに描かれれば、すごいと思ったんだ。でも、原作ものってのは難しいんだね。いろいろ裏であったらしいけどさ、たとえばあんまり脚色しすぎちゃいけないとかさ、配役がどうのこうのとかさ。映画ってのは役者よりもホンだからね。その段階で、篠田さんも、情熱なくしちゃった部分があるんじゃないかな。だってあの映画は監督よりも、原作者の名が大きかったもの。それじゃいい映画作れないよ。しかし篠田監督の演出は、オレはやりやすかったよ。何でも最初のころ、あの役はショーケンでは無理なんじゃないかという声が、どっかから出たらしいんだね。それを篠田さんは『俺がショーケンを選んだんだからいいんだ』と押し切ってくれたということだ。どこの世界でもそうだろうけど、人間関係というのは結局、心と心の結びつきだろ。信頼だろ。監督にそこまで言われれば、そりゃ役者としてはうれしいよ。役者は単純だからね、乗せられれば張り切っちゃうね。役者にとって、いい監督とは役者をどこまで乗せられる人か、ということにもなってくると思うね。そういう点で、篠田さんは役者を乗せるのが上手な人だったと言える。『キミらは好きなように演ってくれ。編集するのはオレだから』って、言い切ってくれた人だからね。それなのに、正直いって出来あがったものは、イメージとはかなり違ったものだったからオレは、まあショックだったわけ。その後『卑弥呼』は観たけど・・・・・・あの人はもっともっと出来る人なんじゃないのかな。オレにも、もう一回やろうと言ってくれたけど・・・・・・まだちょっと、その気になれない部分もあるんだッ」




神代監督と出あう



作品の上とはいえ、信じていたものに裏切られたという虚脱感。さらにこの頃、彼が熱望していた「純」という作品が、何度か製作開始のチャンスを匂わせながらも、結局は中止となった。その挫折感。さらにさらに私生活の上では、結婚問題が週刊誌ジャーナリズムをにぎわすようになった。その煩い。ショーケンは率直に言葉を継ぐ。「役者にとって、少なくともオレの場合は、私生活は演技に重要な影響を及ぼすと思っているね。ホンモノの喜怒哀楽を経験した人の演技というのは、やはり説得力があると思うよ。そうした経験を演技に生かせない役者なんて、役者を止めるべきだよ。男と女の関係にしたって、出会いがあって、別れがあって、浮気があって、そんなさまざまな喜怒哀楽をひとまとめにして、それが人生であり、男と女の四季なんだもの。そういう人生経験を経る前と後じゃ、泣き顔の表情ひとつにしたって、表現は変わってくると、オレは思うね」その役者エゴについて、ぼくはこの前の秋吉久美子のインタビューの際、彼女が言った言葉を引き合いに出して、ショーケンに質してみた。

―で、君は自分自身のボルテージをあげるためには、相手役の気持ちを踏みにじることも平気なんだって?当然!というふうに、彼は胸を張った。「芝居というのはボクシングと同じでね、口より手ですよ。食うか食われるか、真剣勝負ですからね。これは映画ではなくテレビの時なんだけど、相手の女優が、ハダカになることを拒否したんですよ。何もオールヌードじゃないですよ、テレビなんだから・・・・・・。テレビってのは、いろいろ規制がうるさいでしょう。オレはそれでテレビ・ドラマっていうのは、好きじゃないんだけどサ。あれもダメ、これもダメ、セリフでもビッコとかメクラとかいう言葉はだめ、セックス用語もダメ、というふうに規制が多すぎる。あれじゃ人間の自然な感情のこもったドラマなんて、作れっこないですよ。映画だけでメシが喰えるなら、オレはほんとうにテレビなんて、やりたくないよ。それでさっきのチンピラ女優の話だけど、役者の立場で、あれはイヤ、これはイヤなんていっちゃいけないんじゃないのかな、とオレは思うわけ。それなのに、そのチンピラ女優はこう言ったんだよ。『私は女優である前に、女でありたい』何をヌカスかってんだ。それなら女優を止めて女になりゃいいんであって、芝居なんか止めろと、オレは怒ったんだ。そんな言い草は演技以前の、わがままにしかすぎないよ。男には考えられない論理だろ」彼はその女優の名を、自分から口にしなかったが、ぼくが知人のテレビ・ディレクターに聞いた話では、中野良子に間違いなさそうだ。



そうしたさまざまな体験を少しずつ積み重ねて、ショーケンは「青春の蹉跌」にたどりつく。「はじめ東宝から、うちのプロダクションに話があったときは、まだ何をやるかは決まっていなかったんだ。ただ『東宝で一本撮らないか』という誘いだけだった。オレはあんまり乗り気じゃなかったんで、返事を保留していたわけ。でも熱心に声をかけてくれるし、そこでふっと神代辰巳監督を思い出したんだよ。あの人のは、偶然『恋人たちは濡れた』とか何とかいう日活ロマン・ポルノを観に行って、その併映で『一条さゆり・濡れた欲情』を観て、もう、ふっとんじゃったわけ。あんなにイキイキした映画、今までにあったかい?なかったよ。それでクマさんの映画は欠かさず観るようにしてた。そのうち紹介してくれる人が居て、初めて会ったとき、オレで一本撮ってくださいよって、頼んでおいたんですよ。クマさんも『いいョ。俺でよけりゃ』なんて約束してくれてたしね。それで東宝に神代さんでどうでしょうか、それなら出演させてもらいますが・・・・・・と返事したんだけど、『神代さんは日活でお世話になっている方ですし・・・・・・』といって、なかなか他社の監督は使おうとしないんだね。日本の企業というのは、そういう点、前近代的だし、さらに才能があると思う人であっても、一本だけじゃダメで、平均点のものをいくつか並べて、歌でいえばヒット・パレードの第5位とか6位あたりを行ったりきたりしているような人でないと、認めようとしないんだね。でもオレはクマさんとやりたかったので、あきらめなかった。クマさんもいいものにする自信はあるというので、マネージャーにがんばってもらったわけ。それで結局、東宝が折れてくれたんだけで、そういういきさつがあるだけに、撮影が始まってからも、オレはすごく乗ったわけよ。自分なりにアイデアも出したりしたんだ。たとえばタイトル・バックのローラー・スケート。いつかやりたいと思ってたことを、ついに実現したといううれしさがあったね。それから壇ふみを背中にして、ハイハイするときの滑稽でもの哀しい表情とか、桃井かおりを殺したあと、バ―ッとと踊りながら行くと墓場だったとか、鉄の柵を指で鳴らして行く途中、一つはずれていて、また後もどりして行くところとか・・・・・・。もちろん監督と話し合った上でだけど、そういうふうに一場面一場面苦労して作りあげたという実感が、ものすごくあるわけ。それに音楽がバツグンに良かったろ。井上堯之というのはバンド仲間なんだけど、今までの日本映画の音楽というのは、何かとってつけたみたいな、いわゆる主題歌≠モうのものが多かったじゃない。あの映画のときは音楽は音楽自体、独立して、青春のいろんなもの哀しさを出していたと思うしね。辛いといえば辛い仕事だったけど、充足感はあったんだ。」



そして彼は今、蔵原惟繕監督とともに「雨のアムステルダム」に取り組んでいる。「何というか、ネチっこい人のようだね。分別がつきすぎてて、そのことを自分でテレているんじゃないかな。よく話し合いにはのってくれますよ。ここはどう思う?ぼくはこう思う・・・・・・というふうに、ふたりで話し合うわけ。そんなときオレのいうこともよく聞いてくれます。でもその通り作ってるかどうかは疑問だな。もちろん監督のねらい通り、作ってくれていいんであって、その点心配はしてないけどね。だから非常にオーソドックスな人のようにみえて、実際はオーソドックスではないんじゃないかな。ラッシュをみてないから、まだ何ともいえないけどね。オレはいつもラッシュ見ないことにしてるんだ。もし見て、自分で気にくわない点があると、残りの分で、それを取り戻そうという気になるもの。それがイヤなんだ。でも、全体的に言って監督というのは、役者に対して、もっとガンガン言っていいんじゃないかな。オレなんか物足りないと思うときあるもの。好きなように演ってみろと言われたって、自分がやっていることが、いいのか悪いのかの判断は、自分にはつかないからね。だから『いや、そこは違うんだよ、こうなんだよ』って、監督の意見は、はっきり言ってもらったほうが、『じゃ、もう一回やってみます』という気にもなるし、『いいや、ちょっとそっちの言っていることが、違っているんじゃないですか』って、反発もできる。そこでまた双方に別な知恵も浮かぶんじゃないのかな」
そうか。ぼくは最近の映画の撮影現場をのぞいたことはないけれど、監督さんたちは民主的になって、話し合いによる撮影進行を重視していると見える・・・・・・。念のため断っておくが、以上の言葉を、ショーケンは男優賞を獲得した勢いで、意気高らか≠ノしゃべりつづけたのではない。むしろ肩をすぼめ、視線をさまよわせ、気恥かしそうに、それでも今、言っておかなければ、手遅れになりかねないから≠ニでもいいたげな風情で、いわゆる映画青年らしい真一途な姿勢を見せて、語ってくれたのである。ぼくは彼のそばを離れがたかった。もっともっと、映画についての誉め言葉や、だからこそ言いたくもなる悪口やらを披瀝しあいたかった。しかし昼休みの時間はもう、とっくに過ぎている。彼はテレビ・カメラの前に帰っていかねばならない時刻だ。

最後にひとつ。―今、寛大なるプロデューサーが、君に好きなものを撮らせてあげるといったら、どんなキャスティングで、何をやりたい?と聞いてみた。すかさず返ってきた答えは次の通りである。「歌舞伎の坂東玉三郎と、泉鏡花の心中ものを何かやりたい。紫の頭巾かなんかかぶって、ふたりでローソクをかかげて、明治神宮の権田原の森の、暗闇の中の道行き。ふたりのあとに、おなじようなローソクをかかげた男たちの行列が、黙黙と連なるという光景は、どうだろうね。絵になると思うよ。そういう華麗な、虚構の世界というのが、今の映画には欠けていると思うんだ。演出は蜷川幸雄さんがいいと思うな。ほかには歌手のちあきなおみとか木の実ナナさんなんて、映画にもってくればおもしろい芝居ができるような気がするけどね。オレは役者としては基本的な訓練ができてなくて、地でやってる部分が多く、いつか壁につきあたるのではないかと言われている。確かにそうかもしれない。だが演技というのは訓練による部分とは別に、新しいものに貧欲で、そういうものを吸収しようとする臭覚とか、臭覚のようなものに頼る部分があってもいいと思うんだ。オレはそういう感性を大事にしたいし、そういう役者になるために、自分なりに勉強していきたいと思っている」そして最後にポツリとこうつけ加えた。「オレが出たら、何でも当たるというような役者になりたいなあ!」





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