ベルリン映画祭出品作品
瀬降り物語






かつて(昭和十年代末ごろまで)、関東以西の地方に、一般社会と隔絶して、わずかな生活用具を背に山野を漂泊う山の民がいた。彼らは蓑作りを生業とし、ときおり、里に出てきては農家に蓑を売ったり、修理をしていた。瀬降りとは、彼らが行く先々の川原に張った天幕のことで、つまり、彼らの家そのものである。彼らは独自の社会を形成し、アユタチと呼ばれるオーヤゾー(大親分)を頂点に、クズシリ(国知)、クズコ(国子)、ムレコ(群子)の各ヤゾー(親分)が各地の瀬降りをとり仕切り、独自のハタムラ(掟)によってその生活は厳しく規定されていた。彼らは自分たちの社会に誇りをもち、他を寄せ付けなかったという。映画は、この山の民の物語である。戦雲の色濃くなりはじめた昭和十三年ごろを背景に、ムレコのヤゾーと呼ばれる男とその息子が、一族の亀蔵一家と触れ合い、一般社会の無理解にぶつかるありさまを描きながら、自然の摂理には決して逆らわず、常にそれと一体となって暮らしていた山の民たちの風俗、生活様式などを四季の移り変わりのなかで紹介し、大地に根ざして生きる人間のたくましさ、愛と憎しみ、喜びと哀しみを格調高く謳いあげていく。四季が織りなす美しさと厳しさ、自然と人間の深い関わりを描くため、撮影はオールロケ。俳優とスタッフは、愛媛県北宇和郡の四万十川の源流、国立公園滑床渓谷にプレハブ住宅を建てて合宿、一年間にわたって四国山脈一帯で大ロケーションを繰り広げてきた。監督は中島貞夫。今日まで二十年間、この作品の映画化に執念を燃やし続けてきたが、念願の映画化にあたっては自ら脚本も執筆。スケールも一段とアップして、意欲的な演出を見せている。出演は、主人公のムレコのヤゾーに萩原健一が扮し、素朴で男っぽい山の男を熱演しているのをはじめ、親分を慕うクニに藤田弓子、その夫の亀蔵に殿山泰司、さらに早乙女愛、永島暎子、室田日出男、小林稔侍、小倉一郎、光石研など、ベテラン、芸達者陣が顔を揃え、個性的な演技を競っている。また、亀蔵夫婦の娘で、若いヒロイン・ヒデを演じる河野美地子は、’83第一回ミス映画村に選ばれたフレッシュな新人で、この作品がデビュー作となる。撮影は、「ふるさと」等の名手、南文憲で、美しい日本の四季をあますところなく伝える。音楽は井上堯之、速水清司が担当し、主演の萩原健一が音楽コーディネーターとして、その多才ぶりを披露するのも話題のひとつ。なお、この映画はベルリン映画祭の出品作品となり、二月中旬、中島監督と河野美地子が映画祭に出席、評判を呼んだ。東映映画「瀬降り物語」は、五月十一日、全国の東映系劇場で公開。





ショーケン全開 萩原健一

主人公のムレコ(群子)のヤゾー(親分)を演じるのは、ショーケンこと萩原健一。


「台本を読んだとき、ぜひやりたいと思ったね。ただ、五十年前に姿をけしたともいえる人々の生活を演じるわけだから、イメージをふくらませるのは大変だった。いろいろ資料もあさったんですよ」と、この作品に賭ける意気込みは大きい。中島監督も、「ショーケンはハマリ込んでいる。ものすごく突っ込むタイプで、ノリはじめたらとどまるところを知らず、それが他の役者に強烈な好影響を与えた」と語る。撮影現場は宇和島市から車で約一時間、四国山脈深く入り込んだ渓谷沿いで、野生のサルが百五十匹も生息しているという大自然の真っ只中。映画の中身にはピッタリ。「自然をともにした、とにかく健康的な生活。こういう生活をしていると、山の民が超自然に生きる平和主義者と理解できるね」ヤゾーは一年前に妻を亡くし、一人息子の太と二人で山野を漂泊うが、一族のヤゾーとして、結納の仲立ちをしたり、兵役忌避で追われる仲間を逃がしたり、仕事を手伝ったり。寡黙ながら、頼もしい男である。「ボスの役とはいえ、あまり居心地のよい人になってはいけないと考えて演じました」危険な谷川地帯を走り回ったり、山刀を振って乱闘シーンを演じたり。山の男を演ずる条件は厳しい。撮影の合い間には水泳やランニングで鍛えたといい、口ヒゲをたくわえ、日焼けした身体から男のたくましさが漂ってくる。「でもね。文字通りツルリのナメトコで、岩や沢の石をとぶシーンではよくすべってね、昨日は足、今日はアゴと、一カット、一ケガの状態」で傷だらけの男≠ニなって迫真の演技を見せている。「大きなアブやヤブ蚊との戦いもあって、ノーメークでお岩さんになっちゃったよ。それに、サル被害もあった。食べ物はおろか、何だって戸をあけて持っていくんだから」合宿生活ではなれぬ手つきで食事の用意や皿洗いをこなした。「長期ロケで大変だったが、いっさいの雑音から排除されるから、映画に集中できた」テンプターズのボーカルとして登場、グループサウンズ時代の一世を風靡したアイドルも、はや三十五歳。近頃は俳優としての活躍がめざましい。ことしは、鈴木清順監督の「カポネ大いに泣く―桃中軒海右衛門のアメリカ綺談」や、神代辰巳監督の「恋文」にも主演している。「とにかく、一つ一つ目前の仕事に全力でぶつかるだけ。ヤゾーは大好きなタイプの男。思い切り演れました」苦しみながらも全力で打ち込める作品に生き生きした表情で語った。



体当たり演技でデビュー

ミス映画村 河野美地子


映画の中で、その若さと野生美がひときわ精彩を放つ少女がいる。亀蔵夫婦(殿山泰司、藤田弓子)の娘ヒデだ。素戔鳴尊((スサノオノミコト)を祖神にいただく一族の、古式にのっとった敬虔な祝言や葬儀、独自のハタムラ(掟)がまだ理解できない。親子三人で暮らす永い冬は、若いヒデの気をふさぎ、掟を破って村の青年ジローと恋仲になる「なぜじゃ」をくり返すヒデ。大きな黒い瞳で真実を見つめようとする姿が、観る者を引き込んでいく。そのヒデを演じるのが、ミス映画村の河野美地子だ。「自然の中で育った少女が恋をして、やがて大人になっていくという役柄。やけっぱちな面もあるけど、とても素直で純粋な少女です。ヒデの素朴さが私自身の一面と共通して、好きですね」ミス映画村に選ばれてまる二年。他の五人のミスたちが早々とテレビや映画でデビューするのを横目に、コンテストの時からこの役は河野と決めていた中島監督の下で、一年間みっちり英才教育を受けた。それに、「まだ高校生だったので、学校だけは卒業したかった」。休みになると京都と別府の間を往復しながら、昨年春、無事に卒業。二月から十二月までの長期ロケに全力で取り組んだ。ハタムラを破った制裁として、首まで土中に埋められるシーンがある。時間の描写が大切ということで、撮影は早朝、照りつける日中、夜間と七日がかり。どしゃ降りシーンでは、消防用の大型ホースで頭上から容赦なく放水され、撮影は延々三時間半も続いた。ドロまみれで、唇が青ざめた。その時、心配顔のスタッフに「大丈夫、気合いを入れてますから」とにっこり。「根性がある」とスタッフ一同が感心したという。「本当は苦しかった。でも、見せ場だからと思って頑張ったの。十一月に川へハダカで入るシーンもつらかった。夏でも冷めたい水だから、もう凍えそうでね。それにハダカだし。けれど、スタッフの人たちが一生懸命作業したり、気をつかってくれるのをみてると、恥ずかしいとかイヤだなんて言ってられなかった」萩原健一に劣らぬ重要な役どころだけに、心身とも、役に没頭。母親役の藤田弓子とのからみも、藤田の迫力に負けぬ熱っぽい演技をしている。「萩原さんから『気を入れて役にいどめ』と教えられ、プレハブの四畳半で同室だった藤田さんには、私生活でもおカカ≠フように細かい演技の指導をしてもらいました。共同生活という貴重な映画作りを体験して、演技を見て学ぶだけでなく、ベテランの俳優さんたちから役者の心構えを教わったと思います」一本の映画がタマゴ≠セった彼女を大きく成長させたようだ。「大きな役なので、とても不安だった。でも、一年間頑張って本当によかった。女優の仕事を一生続けていく決心がつきました」二十五歳になった時、大人の女、悪女を演じられる女優になりたい―。彼女のいう悪女とは、女の魅力を武器に自分の意志を貫く女性だとか。いまはまだ、色白で愛くるしい笑顔の十九歳。大きくはばたくのを期待したい。



 中島監督



「瀬降り物語」は、中島貞夫監督が二十年来あたためてきた企画で、一年がかりの撮影でようやく完成した。「自然へのラブコール、そして大自然の中に生きる人間の愛と憎しみ、喜びと哀しみ、それを移りゆく四季を背景に描くのがこの作品のねらいです。愛といい、憎悪といい、哀しみといい、大自然を背景とする限り、それは人間の原像≠ノ近いものでなければならない。現代人が失ったロマンへの胸一杯の希求でしょうか―」この漂泊いの山の民は、作家・三角寛の研究や山窩小説として知られている。中島監督はデビュー後の第二作として、このテーマでクランクイン直前までいきbながら中止になったいきさつがある。「最初のシナリオを作ったのは一九六〇年代前半。その頃は高度成長化時代で、自然破壊が善≠ニ受けとめられていた。その後、ひずみが生じ、現在では逆に自然回復が叫ばれるようになってきた。そうした点において、二十年前につくるより今の方がテーマが切実に感じられるし、私自身もより掘り下げていけたと思う。そして何より、このテーマは普遍なんですよ」今回の映画化にあたって、当初のシナリオを大幅に書き直した。資料等は二十年前に収集したものが役立った。「忠実と思っても猟奇的な部分が強調されたものが多く、史実めかしてもリアリズムとはいえないところがむずかしい。昭和十三年頃に時代設定したのは、徴収令がしかれ、すべての日本人に住所を持つ≠アとが強制され、彼らが姿を消していくことを強調したかったからです」「萩原さんは適役。他の役者もみな好演しています。合宿生活のメリットは、すべての時間を映画に使えることでね。ていねいな手仕事で、じっくり見せる映画になっています」

監督が手塩にかけた愛弟子、河野美地子、河野美地子については―

「今回、いわば手つかずでこの勝負作に出してやろうと満を持していました。こまかい演技はつけず、全体が持っている雰囲気の中で、演技以前の問題から体で覚えさせました。河野はそれに応えて、よくやりました。最近の若い子のチャラチャラムードなんてみじんもなく、根性があります。久々の好女優の誕生ですよ」「現代へのアンチテーゼといった大きな気持ちはないが、都市文明があまりにも高度化している今こそ、多くの人々に見てもらいたい」


 本田達男プロデューサー



自然と人間とのかかわりを大らかに謳いあげるため、オールロケで取り組んだのですが、ロケ現場を探すのがひと苦労。川原探しをすると護岸工事がしてあったり、そばに民家があったり。いかに自然が残っているところがあるかがロケ隊のテーマでした。映画は表情豊かに移りゆく日本の四季の美しさと、残り少なくなった日本の農村風景を叙情的にとらえ、それだけでも十分、見ごたえがあります。ロケ地探しに一年、撮影に一年。これほど腰を据えて作った映画は近年、まれでしょう」「実際に撮影に入って、自然の中で暮らすのがでれほど大変かをスタッフや俳優は痛感しました。撮影は当然、自然(天候)に寄り添っての進行。午前三時起きの早朝撮影が一週間続いたら、深夜撮影が一週間続くといった具合です。おもしろいのは、監督や私など年配の者は虫に刺されてもハレないのに、ショーケンや藤田ら若い人たちは赤くハレる。子供のころに免疫ができていないからでしょうね」「中島監督の企画がようやく実現したのは、今村昌平監督が貧しい日本の農村を描いた「楢山節考」が東映映画として成功したこともあります(カンヌ映画祭グランプリ受賞)この映画は二月にベルリン映画祭の出品作品となりました。自然回復というテーマが日本人だけでなく、広く世界の人々の関心事でもあることから、話題を呼ぶものと思います。挿入歌ではないのですが、イメージソングを明日香が歌うので、こちらもぜひ、聞いてください」





えいがむら No28 ● 特集=瀬降り物語


HOME NEXT

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送